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祝うこと

高木健次神父


 まだ千葉寺に来る前の話ですが、今年の3月に、ある先輩司祭が自分の聖地巡礼ツアーに連れて行ってくれたので、初めてイスラエルに行きました。


高木神父様説教

 この旅行で最も心に残ったのは、エルサレムのかつての神殿跡である嘆きの壁の前でのバルミツバを見たことでした。


 バルミツバというのは、ユダヤ人の男子が13歳になったら行う、成人式のようなもので、当人が人々の前で聖書の一節をヘブライ語で朗読し、解説をするという形式で行われ、それ以後一人前のユダヤ教徒と認められるということです。


 私たちの一行が嘆きの壁を見学に行った日がちょうどバルミツバが行われる曜日にあたっていたそうで、次々にバルミツバの式を行うグループが来ていました。


 この式を見て特に印象深かったのは、式を行う男の子を中心にして、家族、親戚と見えるまわりの大人たちが本気で喜びを表していたことです。とりわけ、式の前後、おじさんたちが大声で歌っている真ん中に、当の男の子が少し恥ずかしそうに、少し誇らしげに立っている様子は感動的でした。


 こうして大人たちは新しい仲間を迎え入れることを喜び、本人は自分がこの仲間に加えられたことを実感していくのだろうと、そばで見ていて感じました。バルミツバの光景を通して、大人たちが本気で祝っている姿こそが、子供たちに自分が今体験していることの重要さを最も効果的に伝えるのだということを教えられたように思えました。


 私たちカトリック教会も、新しい仲間を迎えるために、洗礼、初聖体、堅信という式を秘跡として大切にしてきました。


 しかし、私たちはこれらの機会を家族の中で、あるいは教会全体として大切なものとして本気で祝っているでしょうか。


 子供たちに教会に行って欲しいと言っていながら、親が本気で喜ぶのが受験に合格した時だけだとしたら、それを通して、大人たちが本当は何が大切だと思っているかが子供たちに伝わるでしょう。


 受験に合格したことはもちろん喜ばしいので祝うのが自然ですが、もし子供たちに信仰を伝えたいなら、はじめて秘跡にあずかる機会を合格祝いと少なくとも同等か、出来ればそれ以上のものとしてなんとか工夫して祝ったらよいのではないでしょうか。

 これは教会にあってはなおさらのことです。洗礼、初聖体、堅信を教会として本気で祝わずして、若い世代が教会に来ないなどと論じる資格はないと言わなければならないでしょう。


 7月から堅信のための準備会が始まります。ちなみに今年は9月12日に茂原教会で、岡田大司教司式のもと、千葉中央宣教協力体の合同堅信式が行われます。

 教会として、まずは祈りをもって堅信の準備をする方々と一致いたしましょう。そして何らかの形で、千葉寺教会として、堅信を祝えたらと思います。

「シャローム」2010年07月号掲載

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