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マラッカ(MALACCA)

マルコ・アントニオ・マルティネス神父


 去年のクリスマスに、現在はシンガポールのメキシコ大使を務めるアントニオ・ヴィゼガス(Antonio Villegas)さんが、御夫人とお嬢さん二人とともに日本に遊びに来ました。そしてどうしても私の家(司祭館)に泊まりたいと言ったのです。


 ヴィゼガスさんとのつきあいはもう40年にもなります。1968年に私が神学生として日本に来たとき、彼は大学を卒業して、初めての任地としてメキシコの外務省から日本に派遣されて来たのです。二人ともそれぞれの道に進んだので、ごくたまにしか会うことができませんでした。千葉寺教会の司祭館に泊まることが出来たのは、御夫人にとっても、二人のお嬢さんにとっても、とても良い体験だったそうです。


 シンガポール大使になったヴィゼガスさんから、先月、飛行機の切符が届きました。そして大使公邸に泊まることができるから、お金の心配はしないでぜひ遊びに来てくださいとのことでした。いろいろ考えましたが高木神父さまに甘えることにして、高木神父さまがいるうちに行ってくることにしました。


 シンガポールに滞在中、ヴィゼガス大使のお知りあいの方がご自分の車でマラッカ(MALACCA――現ムラカ(Melaka))を案内すると申し出てくれました。


 私は小神学生のころにマラッカという町のことを聞いたことがありました。そこは、短い間ですが、フランシスコ・ザビエルが福音宣教をしたところです。マラッカでフランシスコ・ザビエルは日本人最初のキリスト者アンジロー(弥次郎)と一緒でした。アンジローはフランシスコ・ザビエルに、日本へ行くようにと勧めました。


 1549年8月15日、フランシスコ・ザビエルは鹿児島に着きました。2年間、日本に滞在してインドのゴアに戻りました。フランシスコ・ザビエルは中国に入って、そこで宣教活動をしたいと燃えていました。しかし時勢はそれを許しませんでした。残念なことに中国本土には入ることが出来ませんでした。そして1552年12月3日、彼はマカオ(澳門)近くのサンチェン島(Sancian(上川島))で、46歳の若さで亡くなりました。


 フランシスコ・ザビエルの意向で、遺体はインドのゴアに送られました。その途中でマラッカに3ヶ月納められていました。今でもサンパウロ教会の近くにある丘の上に、そのお墓があります。

 サンパウロ教会の主任司祭の案内で、教会の地下に行きました。そこには最初にマラッカで福音宣教をした3人の宣教師のお墓があります。墓碑銘を読んで私は驚きました。そこに書かれている彼等の帰天の年齢は30歳から33歳でした。その年齢で祖国に家族を残し、二度と戻らない強い気持でこの遠い地まで来て福音宣教活動のために命を献げたのです。

 その3人のお墓の前で私は自分の事を反省しました。70歳になっても、もしかしたら彼らが教会のためにしたことの半分も出来ていないと思うと自分を小さくちいさく感じました。


 500年前も現在も、宣教師である私たちは、どれくらいの働きをしているのか、それは神さましかご存知ないのです。その3人のお墓の前でイエスさまのことばを思い出しました。

「良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ(マタイによる福音書(口語訳) 25:21)」


 私も永遠の喜びのいのちの時に、イエスさまからこのことばで迎えられたら何よりも幸せでです。


 神に感謝。


「シャローム」2011年03月号掲載

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