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世の光

マルコ・アントニオ・マルティネス神父


 これからの話しはすでに聞いていると思いますが、ホームページを通じて皆さんに伝えたいと思いました。


 先月、ある若いお嬢さんから、結婚式のことで相談したいことがあると電話がありましたので、教会を訪ねるように伝えました。彼女は約束の時間に教会にやってきました。話によると、彼女は市原市辰巳台にあるクラレチアン宣教修道会の幼稚園のシスターとかかわりがあり、どうしてもカトリックの教会で結婚式を挙げたいとのことでした。自分の相手の人も洗礼を受けていない、にもかかわらず、二人ともカトリックの司祭の祝福を受けたいというのです。


 断るような特別の問題はありませんでした。でも、結婚のための講座を受ける必要があることを説明しました。その時彼女は、お母さんの病気のことを初めて説明し、できるだけ早く結婚式を挙げたいと話しました。結婚式の日を4月8日と決めました。


 4月5日の土曜日、結婚予定の二人が教会を訪ねてきました。お母さんの病気の状態がだんだん悪くなって教会まで来ることができないと説明を受けました。そして、お母さんが入院している病院で二人の結婚の祝福を受けることができないかと訊ねられたので、勿論できますと答えました。こうしてその病院で結婚式を挙げることが決まりました。


 時がきて、お母さんが入院しているがんセンターのホスピス病棟で結婚式を行いました。その時の参加者は花嫁と花婿、そして花嫁のお父さん、おばあさん、そしてベッドにいるお母さんだけでした。二人は普段着で、結婚指輪以外に飾りは何もありませんでした。わたしは説明しました。結婚に必要なものは全部揃っています。お二人の結婚の誓約、その誓約を司祭の前で交わす信仰、ご両親への感謝のこころ、他のものはなくても真の結婚式はできますと。結婚の誓約を交わすお二人の涙を見て、わたしも涙を流さずにはいられませんでした。その時のお母さんは、その病気の苦しみのなかで、眼を開けて喜び、微笑みました。式が終って帰る時、わたしはお母さんの頭の上に左手を置き、神さまの恵みがありますようにと言いながら別れの挨拶をしました。そして病院の玄関まで送ってきてくれた新婚の二人と病院の喫茶室で紙コップ入りの暖かいコーヒーをかかげて乾杯をしました。


 数時間後、その花嫁さんからお母さんが亡くなられたという連絡を受けました。お母さんはずっと前から洗礼を受けたいという希望を持っていましたが、事情があってうけることができないままになっていました。そして亡くなる前に、彼女はお母さんに洗礼を授けました。そして教会で葬式を行って欲しいとの願いだったので、わたしはそれを引き受けました。お母さんが希望の洗礼を受けたからです。


 お通夜と葬儀ミサ、告別式に出席できたのは最も近い家族だけでした。でも千葉寺教会の信徒が30人以上も参加しました。お通夜の夜、若い夫婦に明日の葬儀ミサのなかで、お母さんに捧げる曲をピアノで弾いてはどうかと提案しました。二人ともピアノの先生だから。二人は本当に弾いても良いですかと言い賛成しました。


 そして葬儀ミサの聖体拝領の後、「千の風になって」を見事に弾いてくれました。参加していた信徒たちも皆感動し涙しました。火葬の間の時間に、教会で行われた典礼がとても素晴らしかったこと、その家庭的な雰囲気に家族のみんなが心うたれたと話してくれました。


 先週の日曜日、若い妻となった彼女はごミサに預り、これから入門講座を受けたいと話してくれました。


 神さまはどんな方法で、どんなお恵みを与えてくださるのか不思議です。時に、わたしたちの小さな証しで神さまはそれを与えてくださいます。わたしは日本で働くようになって今年で40年ですが、今度のようなことは初めてです。


 わたしは人間として、司祭として、また宣教師として大きな神さまの恵を受けています。司祭になって日本へ派遣されたことを重ねて神さまに感謝しています。


 日本での40年の間にはいろいろな体験がありますが、何時も思います。日本には洗礼の水を頭にうけた人の数よりもずっと多くキリスト者の心を持った人が多い。それは日本には殉教者の血の種、信徒の侵攻と宣教師の忍耐の種が蒔かれているからだと。

「シャローム」2008年05月号掲載

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